スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[--/--/-- --:-- ] | スポンサー広告 | page top
こども科学ホール?

こんにちは
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 
今日は前回の続きで
こども科学ホール
をご紹介
■ ■ ■ ■ ■
前回スタッフブログ:
■ ■

前回はテレビ電話までご紹介しましたね
今日は

大型磁石からご紹介しますよ

時計などを近づけるとくるってしまうほど
強力な磁石なんです
中央に釘などの金属が集合してます
■ ■ 
そしてこの隣にあったのが

ジャイロと呼ばれるものです

奥にあるタイヤ部分をくるくると
回転させてから手に持ち
奥の台に乗り、タイヤを傾けると
その方向に体が回転するというもの
■ ■
タンポポも昔やったことありますが
何回やってもどうして回るのか
不思議でしたね〜
■ ■ 
次のコーナーへ行って見ると

電車のシュミレーターなるものが
電車の内装そっくりに作られ
奥にモニターがつけられています


子ども達が乗り込むと
画面に線路が映し出され
実際に電車が走っているような感覚になります
■ ■ 
このシュミレーターの隣には
D-51

本物のプレートと共に展示されていましたよ

かっこい〜
■ ■
さらにさらに奥へ進んでいくと

ジオラマ発見
実はタンポポジオラマ好きです
■ ■
しかも尼崎の昔の様子が再現されていました

真ん中あたりに見えるのが
尼崎城
尼崎にお城があったのですね

尼崎城
元和3年(1617)徳川幕府尼崎5万石
譜代大名戸田氏鉄配置するとともに
築くことを命じました
その翌年から
築城
とともに中心
侍屋敷・寺町
町場
建設着手されました
尼崎城大阪城西固めとして
四層天守閣がそびえる本丸をもち
三方でかこまれしていました
■ ■ 
と書かれていました
さらに

鎌倉末期ごろ大覚寺建立されると大覚寺中心として
門前町えました
またこのあたりには多くの漁民が住み
「海人崎」・「海崎」とも言われていました
長洲浜尼崎有力海民のなかから多くの
問丸(運送業者・問屋)その他の商人が現われ
木材生魚などの売買・輸送が盛んに行われ
また尼崎番匠(大工)は各地で活躍しました
と書かれていましたよ
■ ■ 
海人崎(あまがさき)」から尼崎となったんですね

尼崎城下風景図なるものも発見
立派なお城だこと
■ ■ 
「尼崎の閘門」コーナー

尼崎市には海面より低い土地が多くあるため
台風による高潮荒波を大変受けやすく
今までに大きな被害を受けてきました
なかでも昭和25年に阪神地方をおそったジェーン台風では
大きな被害を受けたそうです
その高潮を防ぐ施設として昭和29年に防潮堤が作られ
防潮堤には港に船が自由に出入りできるように
「閘門」が作られたそうです

台風のときなどの高潮を防いだり
大雨などで湾内の水面が高くなると
大きなポンプで湾外へと排水し水面の高さを
一定にする機能などで民家を守っています

■ ■ 

さてさて今日はこの辺で
次回もこうべ科学ホールブログ
続きますよ

お楽しみに
■ ■ 






written by tanpopo.

スポンサーサイト
[2009/03/23 12:52 ] | 阪神 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top
<<神戸唯一の万年筆調整販売のお店 | ホーム | アーモンドフェスティバル@東洋ナッツ工場>>
コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバック URL
http://fletsmediastudio.blog.fc2.com/tb.php/854-062105c1
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。